アンドルー・ゴードン『ミシンと日本の近代 消費者の創出』

ミシンと日本の近代―― 消費者の創出

ミシンと日本の近代―― 消費者の創出

日本の家庭に入った第一号ミシンは、ジョン万次郎の母親への土産物だった。そして1920年頃までには、アメリカのシンガーミシンが無敵の存在になる。独特の販売システムを確立し、割賦制度も浸透させた。太平洋戦争は「もんぺ」をきっかけに、洋装への移行を一気に加速させた。そして戦後になると、「内職」にミシンを「踏む」女たちの意識は、1950-60年代以降の「中流意識」の膨張に連動していく。ミシンはこの多種多様な「近代」という経験を、すべて見ていた。一つの「モノ」に即して、消費者の側から、経済・社会・文化を語る画期的な歴史。

日本語版への序文 / はじめに / 序論
第一部 日本におけるシンガー
1 明治期のミシン / 2 アメリカ式販売法 / 3 近代的生活を販売し消費する / 4 ヤンキー資本主義に抵抗する
第二部 近代性を縫う――戦時と平和時
5 銃後の兵器(ウォー・マシーン) / 6 機械製の不死鳥 / 7 ドレスメーカーの国 / 結論

渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)
小さなモノに光、大きな歴史照射
 米国の「知日派」というと、最近は外交・安全保障の専門家のみ注目されがちだが、著者は歴史研究における筆頭的存在だ。
 ある日、彼は、ふと1950年代の日本の既婚女性が毎日2時間以上も裁縫に費やしていた事実を知り驚愕する。それが今回の知的探究の出発点となった。
 ふつうの日本家庭に入った最初のミシンはジョン万次郎が母親へ贈ったもの。シューイングマシネ(縫道具)がマシネと略され、さらに2音節に縮まって「ミシン」となった。
 その出現は〈洋裁〉と〈和裁〉という新語を生み、キモノを〈洋服〉に対する〈和服〉とし、〈日本〉と〈西洋〉が対峙(たいじ)する独特の世界観を固着化した。
 とりわけ「世界初の成功した多国籍企業」と称される米シンガー社の家庭用ミシンは10年代までに日本でも無敵の存在となった。それはまた「セールスマン」という近代的職業、女の「自活」という発想、消費者(割賦)信用という制度の拡張を意味した。
 しかし、同社がその「グローバル」な販売システムを頑なに固守するなか、32年には日本の従業員が「ヤンキー資本主義」に抗(あらが)うべく大規模な労働争議を起こす。同社を去った従業員は国内メーカーへと移り、逆に海外の現地システムへの適応を徹底することで、戦後、米国市場を席巻した。
 興味深いのは、戦時中にあっても(旧約聖書の句をもじった)「踏めよ 殖やせよ ミシンで貯金」といった広告が数多く出回っていた点だ。近代的生活への渇望は戦火に絶えることはなかった。
 それゆえ戦後、高度成長期に「専業主婦」という言葉が一般化する頃には「洋装店」が激増し、「洋裁学校」は花嫁修業所としても大繁盛した。当時、欧米に比べて日本の既製服の割合は半分以下だったというから凄い。
 ミシンは「営利のためであれ家族のためであれ、生存のためであれ余暇のためであれ」という多様な意図を有する使用者を「大衆中流階級」へと統合していった。ミシンが労働者の窮乏や分断を促すと『資本論』で警告したマルクスの懸念は日本には該当しなかったと著者は説く。
 膨大な一次資料の収集と精査。安易な日本特殊論を忌避する比較史的視座。歴史を美化も卑下もしないバランス感覚。プロの学者としてのプライドを感じる。
 ミシン裁縫に励む女性と戦後の政党イデオロギーとの関係など、さらに知りたい点もある。
 しかし、小さなモノに光を当てて歴史の大きなうねりを照射するという、魅力的ながらも、実はかなり困難な研究手法の見事な成功例であることは間違いない。

柏木博(武蔵野美術大学教授・デザイン)
加藤陽子(東京大学教授・日本近代史)

平松洋子(エッセイスト)
 こどものころ、母が真剣な表情で足踏み台つきの年代物のミシンに向かい、ワンピースを縫ってくれた。黒いボディに「SINGER」の金文字。全国の家庭に鎮座していたあのミシンが、かくも深く日本の近代社会の形成に関わっていたとは! 歴史家の緻密かつ懇切な分析が、重量級の知的興奮をもたらす労作である。
 日本近現代史の研究者として広く知られる著者は、戦後の労働運動史を調べる過程で、ある事実に遭遇する――一九五〇年代の日本の既婚女性は毎日二時間以上も裁縫に費やしていた。
 外務省記録からミシン業界紙、婦人誌、今和次郎大宅壮一ほか言論人の論説まで膨大な資料を駆使する。ジョン万次郎は未知の道具に感激してミシンを買い送ったが、日本の母は使えないジレンマを味わった。なぜなら、それまでの日本の衣服にとって【手縫い/仕立て直し】が前提だったから。しかし、シンガー社の巧みなアメリカ型販売(セールスマンや割賦販売)によって浸透、「和裁」「洋裁」の新語を生み、“和洋”という二重の概念のもとでミシンは特有の近代性を育てたと指摘する。そして家庭内に経済と文化を持ちこみ、女性の自活を促しながら社会階級やジェンダーに絡んでゆく。戦時下、生き延びる技術として裁縫の重要性を認識した日本の主婦が、戦後の消費経済と社会秩序の担い手としてミシンに向かう姿をリアルに浮かび上がらせる手つきは、見事というほかない。
 こと日本にあって、ミシンはオリジナルな役割を演じたと説く。「マルクスの言うところの、本来その使用者を窮乏化させる道具ではなかったし、ガンディの主張したような質素な生活をする手段でもなかった」。中間層の暮らしに文化的な意味をあたえ、社会階層を縦走しながら女性のアイデンティティを統合したと論じる視点に、なみなみならぬ日本理解の深甚を感じる。モンペの意義にも蒙もうを啓ひらかれた。大島かおりの訳文は理解と共感を助けてすばらしい。