上岡龍太郎と笑いの系譜
- 作者: 戸田学
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2013/09/20
- メディア: 単行本
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本自体の内容は知ってることが多々だった(YouTubeで見れるものの文字起こしも多い)。
大きくは掲げられいないが、内容の監修は上岡自身によるものというから、彼についての仔細な分析はあえてやらなかったのだと思われる。上岡は上辺だけの分析なんて一番嫌いだろうからね。
なにが良かったって、CDが良かった。
『ロミオとジュリエット』の講談が収録されていて、聴き応えがある。
この本で一番問題として触れられているのが、上岡が認められなかった、ということだ。
正当な評価を芸能活動中に与えられなかったのだ。
引退後にある雑誌に載った上岡を称えるコラムがスクラップされて今も自宅にあるという。
そんな小さなコラムであっても縋りたいほどに、大々的には認められることがなかった。
テレビなどで接していた視聴者からすれば、歯に衣着せぬ彼の発言やふるまいを知っているから、性格もそれに違わぬと早合点してしまうだろう。決してそうではないのだ。繊細なのだ。それがよく分かる本になっている。
上岡は自分の芸に自信があっただろうが、常にそれは揺れ動く足場のしっかりしないものだった。
だから、伝統芸能に尊敬を抱き、常に関わろうとした。
教養がある、とは彼に対する評でよくあるものだけれど、その教養も自らの足場固めのひとつの材料だったのだろう。
「パペポTV」のニューヨーク公演に密着したドキュメンタリーで気になったのは、彼が素を晒したくないとしきりに言うことだった。彼の自信は揺らぎ、芸を見せることは躊躇しないが、己を曝けだしたくはないのだ。
もうひとつ。
上岡は話芸の人だった。創作の人ではない。
彼が度々した演目の大部分に、複数の作家が関わっている。キヨスクのベストセラーなんかもそうだ。
彼には伝統がなく、それによる権威付けがなされず、創作ではない「垂れ流し」の活動だった。
だから、彼は妻の一言で、脆くも引退を決意してしまう。
俺には、彼は唯一無二の人だとおもう。
いまのお笑いの世界なんてのはつまらないことばかり。
そんな彼が、しかし脆い地盤の上で藻掻いていたこと。
そこから考えられることは多い。
あともうひとつだけ。
笑福亭鶴瓶は何者なのだ。
上岡の最後の公演は、『忠臣蔵』だった。『あかんやつら』から引用する。
1928年、牧野省三は超大作『実録忠臣蔵』の製作に挑んだ。これは、幾多の「忠臣蔵」映画を監督してきた省三が<生涯の集大成>と位置づけた作品だった。「忠臣蔵」は数多くの俳優が入れ替わり立ち替わり登場し、それぞれに見せ場がある豪華な作りが大きな売りである。そのため、主役の大石内蔵助を演じる役者は時として、一歩引いた芝居をすることで周囲の役者たちを引き立たせるという、座長としての気配りと度量が必要になってくる。
p29
本を読みながら、随時映像にも触れた。
上岡が尊敬した桂枝雀と藤山寛美。二人を上岡は、引っ張りだして自分でプロデュース公演を打った。
ネットで検索すると松本人志がこの二人を讃えている。上岡の影響があったのか。
そうこうするうちに、トウギャッターを発見した。
ここに出てくる笑いの系譜を自分は全然知らない。
ラジオパーソナリティ、池田幾三 タレント、中村鋭一
そして名前は知っているけど、実体は何も知らない、
作家、藤本義一
これからじっくり探っていこうとおもう。