ヘイトスピーチ、冬眠する熊に添い寝してごらん、ブルーシート




DOMMUNE視聴。「退屈するな!『デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語/工作舎』刊行記念」特集(木幡和枝、大熊ワタル、泉秀樹、長門洋平、山崎春美、石原剛一郎、渡邊未帆)
デレク・ベイリーと最初に共演した日本人はオノヨーコだったらしい。当時にはオーネット・コールマンとも共演していたとか。
この音源は番組にも出演していた泉秀樹の吉祥寺のcafe dzumiに行けば聞けるらしい。






・『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインこそはすべて』刊行記念「ぼくたちにとってのマイブラ!座談会」(黒田隆憲、木下理樹、根岸たくみ、露谷麻衣)

ソチ五輪、女子フィギュアのフリープログラム。

マリインスキー・バレエ団の『白鳥の湖を見た。


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・ エリック・ブライシュ『ヘイト・スピーチ 表現の自由はどこまで認められるか』

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橋本治小林秀雄の恵み』

三浦雅士『考える身体』

・アニエス・イズリーヌ『ダンスは国家と踊る−フランスコンテンポラリー・ダンスの系譜』

・柳田益造『楽器の科学』


ヤンキー経済



『不気味なものの肌に触れる』劇場公開記念「濱口竜介プロスペクティヴ in Tokyo

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創業当初、赤字続きのユナイテッドアローズを何も言わず見守ってくれた恩人に、「ありがとう」を伝えに行く。

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①『スクール・オブ・ロック』(リチャード・リンクレイター★★★★★★
寝てばっかしのいい年したズッコケ主人公は、所属バンドをはぶられ、なお堕落した生活を送っていた。ルームシェアをしていた友人に代用教員採用の手紙が届き、友人だと偽って中学校の教員になった彼。ろくに授業をせず、生徒からはなんでもいいから授業をちゃんとしてくれとの声が。そこで彼がとった手。教えるのはロックのみ。本当は全教科万遍なく教えなくてならないのにだ。三週間の指導で生徒はみるみるロック小僧になっていく。ルームシェアをしていた友人の彼女が偽って教員になったことを暴露、保護者の怒りを買うのだが、出場したロックの大会での子どもたちの頑張りを見て、親としても鼻高々。最終的に主人公は教員をやめるものの、「ロックの学校」を実際に作り、そこでの生徒たちの超絶演奏で幕を閉じる。結論からいうと、すごい映画だった。笑って泣ける、この代名詞がピッタリ。お固い校長先生が実はロック大好きで教員同士打ち解けられないことや親からの苦情に悩んでいたり、そういう辛さを、辛さのどん底にいた男が持ち前の平常心で乗り越えていく様はかっこいい。リンクレイターといえばビフォア・シリーズの会話作品がスノッブで素晴らしいが、こちらはどんくさくてすばらしい。監督にあっぱれだ。

②『海辺のポーリーヌ』(エリック・ロメール★★★★★☆
海辺に佇むポリーヌはいとこのマリオンと共にこの街にやってきた。マリオンは街に来てすぐ民俗学者のハゲの男としっぽりいい感じ。ポリーヌもすぐに似た年齢の男の子といい雰囲気になっていた。だがある時、民俗学者の男が浮気をごまかすため、シルヴァンに罪を着せてしまい、マリオンはおかげで救われたのだが、ポーリーヌは落ち込んでしまう。結局ハゲは他の女に会いに行くため別れも告げず立ち去る。最後は映画冒頭のように、ポーリーヌとマリオンが恋愛話に花を咲かせる。この映画は、フランス的で哲学的な会話劇が楽しいし、ネックである。だいたいにおいてそれらの会話には愛や恋がつきものであり、大人たちはそういう会話をするために、ある種恋愛に興じるほどだ。会話至上主義なのだ。当然、少女であるポーリーヌは経験が少ないから、会話に参加するとなっても無理が生じる。このひと夏のバカンスは、彼女に会話をできる土壌を整え、彼女を大人にした。そのためにはシルヴァンとの純愛ではなく、複雑な恋模様が必要だったのだ。

③『博士の異常な愛情』(スタンリー・キューブリック★★★☆☆☆
ラストの10分だけが面白かった。それまではおまけみたいなもんで、ぐだぐだな会議、ぐだぐだな指揮系統でもって、適当に原水爆が爆発してしまうまでを描いている。当時としては画期的で目新しい表現だったかもしれないが、今見ると古びて見える。しかしながらラストの10分における博士の狂いっぷりとそれをあたかも自然に受け止めてしまう国家指導者。ここには戦慄せざるをえない。ハイル・ヒトラーと手が動いてしまったり、計算上のわけのわからない合理的な現実を示したり(そんなのが実現するはずがないし、実現したところで苦痛でしかないだろう)とキューブリック流のユーモアで、悲惨な物語をそのまま伝えない工夫がみられる。もう二度とは見ないだろうが、こういう作品が存在することは受け止めて、このような楔を打ち込む表現をその時代にあわせて反復しなくてはならないとおもう。

④『風の中の子供』(清水宏★★★☆☆☆
四人家族に突然災難が訪れる。父親が警察にしょっぴかれてしまったのだ。そうして母は子どもたちが育てられず、兄弟は別々に暮らすことになる。弟の三平は問題を起こし寄宿先の親戚に迷惑をかける。なんとか兄弟は母親の元に帰ってくるが、母はひとりしか預かることができず、弟の三平はまたどこかで誰かと暮らさねばならなくなった。橋の上で神妙な面持ちの親子。しかし、帰ってみると兄が見つけたのは、父が無罪であることの証拠だった。再会した父と和気あいあい相撲をとり、はみられた友人たちとも仲良く遊ぶ兄弟なのだった。もちろん白黒で取り立てて大きな出来事は起こらない。清水宏の子供への演出をじっくり楽しめる作品。それだけに印象も弱かった。

⑤『ガープの世界』(ジョージ・ロイ・ヒル★★★★★★
「トラウマ映画館」とは町山智浩氏の本のタイトルだが、この映画は俺にとってかなりのトラウマ映画になった。他に観た人はどう感じたのだろう。これ程受け取られ方がちがう映画もないのではないか。自分にとってはひとつの映画の指標となった。どういうストーリーかといえば、ガープという赤ん坊がいた。母親は看護婦で、父親は兵士。父の顔を母もガープも知らない。勤める病院に入院しいつも勃起している男に母がまたがり妊娠したからだ。シングルマザーとなった母親とガープの学生時代が描かれるのが前半部となり、いたって普通のストーリーが展開していく。バスケ部に入れたがった母の反対を押し切りひょんなことからレスリング部に入部したガープ。レスリング部のコーチの娘と恋をするも、「小説家じゃないと結婚したくない」と言われ、急に小説を書き出す(なぜだか母親も書きだすことに)。母は女性の権利を主張する小説を書き大ヒット。ガープも小説を出版し、そこそこ売れる。こうして親子二人は作家となった。ガープは約束通り結婚。ここからこの映画に面白さ(ねじれ)が加わっていく。母親はだんだんフェミニズムの施設に出入りするようになり、そこでの生活を謳歌する。まわりにはレイプされた少女の気持ちを汲んで舌を切るなど過激な主張を持つ女性もいる。以前知っていたアメリカンフットボール選手はいまは女性となり、生活していた。一方のガープは妻と子どもと仲睦まじく生活しているも妻が教える大学院の学生と不倫をしており夫婦生活に危機が訪れる。しかし仲は改善し、母は国政に打って出ることに。だが射殺され、葬儀が開かれる。男子禁制の葬儀でガープが出会ったのはエレンだった。それは、ガープが出版した本のタイトルにもなっている女性で、舌を切って男にプロテストする運動のきっかけとなった女性だった。ガープはこの女性がこの運動を好意的に思っていないことを手紙で知らされており、エレンの意を汲むかたちでこの運動に批判的なスタンスの本を出版していたのだ(出版には苦労した)。母は死んだがガープは教師の妻と三人の子どもと幸せに暮らしているにみえたが、コーチに就任した母校のレスリング部に女が乱入、ガープを銃撃する。一度は映画感に行かず庭で子どもたちを見ながら懐かしんだ(そして途中で妻の忠告でやめた)過去を忘れないでくれと妻に託した。長くなったがこれがあらすじだ。父を知らないガープは母親に女手ひとつで育てられた。これにガープは感謝しており、国政選挙の演説に向かう母に「父親はいらなかった。貴方がそうだったからだ」と言っている(母にはエンジンと翼の音で聞こえていない)。母親がいなければ今のガープはいないだろうが、さまざまに影響をされてきた。良くも悪くも。この映画は何を表したかったのか、監督のイデオロギーがどういうものなのか、さっぱりわからなかった。だから、複雑に思えた。これがよかった。複雑だと思える映画は限られているからだ。だが通常は複雑ながらもその映画に対し、ある程度の感想をいだくことはできる。こちらにも考えはあるからだ。しかしこの映画にそれは難しい。あまりにも大きすぎて処理が難い。けっして女性運動を美しく描いてはいない。全編を通して女性活動家が多く出てくるものの、舌を切るなど過激だったり、変な母親(これは冒頭近くで登場人物のひとりが言及している)と似たような人物として存在しているからだ。であれば、これはフェミニズムを諌めて男性優位を説く映画なのだろか。そうとも言えない。確かに妻の不倫相手はチンコを噛み切られる(追突事故で)。これは浮気という悪事の制裁表現として違和感なく受け止められるが、いき過ぎでもある。事故の描写以後不倫相手の学生が一度も登場しないことで悲壮さはなお増す。だとしたらこれはなんのために存在する映画なのだろう。整理がつかず、さっぱりわからない。象徴的にヘリコプター(飛ぶもの)が三回出てくる(母親が自分の両親に妊娠を伝え立ち去る、新居にヘリが突っ込む(飛行士の態度と「二度も墜落はしない」から即決したシーンには爆笑した)、そして国政に打って出る場面。写り込まないが父の背景を加えると四度と計算しても構わないだろう)など、指摘してもいいだろうがそれより何より意図がよくわからないから、まずそこで足踏みをする。これはなんのために、何を意図してつくられたのか。そうして、これからどう映画を見ていこうか・・・。

⑥『ブラック・スワン』(ダーレン・アロノフスキー★★★★☆☆
ナタリー・ポートマン演じるのはバレリーナチャイコフスキーが作曲した三大バレエ音楽のひとつ『白鳥の湖』。『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』と併せてバレエの演目として有名なものだ。代替わりによってポートマン演じるニナがプリマを演じることになった。だがニナには官能性が足りない。どこか怯えがあって自信がなく、白鳥なら演じられるかもしれないが、黒鳥(裏の顔)を演じるには気持ちの突破が欠かせなかった。舞台監督であるトマは指導的精神からかただの性的な欲求からかニナを求める。キスをしセックスをしようとする。だがニナは拒む。彼女は幼い頃から母親の強烈な庇護のもとにあった。母・エリカとは同居し、指にささくれができれば切ってもらい、背中に血が滲めば処理をしてもらう。母はニナが生まれたせいで夢を諦めたとまでいう。ニナがこうして主役の座を勝ち取ったことは嬉しいが、自分の手を離れていってしまうのは怖いのだろう。その気持ちを知ってか知らずかニナは母親の言うことは甘んじて受け止めてきた。あるとき、バレエ団に入団してきたばかりの新人・リリー(ミラ・キュロス)にバーに誘われる。彼女はクスリと酒とセックスをニナに教えた。紹介された男とだけでなくリリーともニナはセックスをした。リリーが果たして優しさからの教育的目的でニナにそうしたのか、主役から引きずりおろさんがためにしたのかはわからない。だが、こうしてリリーはニナに付き纏っていく。ついに『白鳥の湖』の幕が開き、ニナは白鳥の役において致命的なミスをしてしまうものの、黒鳥では一転見事に官能的に役をやってみせた。これがストーリーだ。といっても、泣けるドラマかというとサスペンス性が上回っている。監督はニナの精神性とその変遷こそを映画として扱いたかったのだろう。象徴的に背中に滲む血がでてきて、官能的でなく、セックスの経験が然程ない白鳥・ニナを苦しめる。これが舞台本番の楽屋で、リリーを抽象的に刺し殺すことで、彼女の黒鳥が目覚める。それによって見事に役を演じ切ることが出来た。映画としては『プラダを着た悪魔』のようにスタイリッシュな演出。こういう映画は嫌いではないのだが、少し長くて間延びしている。あと20〜30分切り詰めて90分ほどにしていたらよかったのではないか。年をとったプリマ・バレリーナウィノナ・ライダーが好演している。ポートマンはすごく、白鳥時代(前半)はずっと気弱で自信の無さがひしひし伝わってくる。舞台で黒鳥になると今度は悪魔的演技、のはずが、おどろおどろしさはそれほどない。でも、好演であることに変わりはない。なんせ、背中がいいのだ。ロシアのバレエ団の『白鳥の湖』を観たばかりだが、プリマの背中の筋肉の演技が素晴らしかったのだ。ポートマンは背中の演技がすばらしかったので、それだけでいいのだ。あと、エリカに処置されるためパンイチになるところがエロくてよかった。

⑦『バッド・チューニング』(リチャード・リンクレイター★★★☆☆☆
リンクレイター監督は朝を迎えるのが好きなんだと思う。『ビフォア・サンライズ』でも二人は公園で朝を迎えた。本作はリンクレイター監督のデビュー作で93年に制作された。ビフォアシリーズと『スクール・オブ・ロック』のあとに観たのだけれど、リンクレイターの魅力というかやりたいこと、この世界の捉え方が最も明瞭に出ている作品のように思われた。ストーリーはいたってなだらかで、高校の授業最終日から夏休み初日にかけての一日が描かれる。そこには複数のグループが出てきて、高校に入学して間もない新入生や、上級生、もう高校を卒業してしまった人々が登場する。そうして真夜中を思い思いに楽しんでいく。新入生はセックスのことであたまがいっぱいだし、慣れた上級生たちはビールを車のトランクに入れて酒を浴びるように飲み、ドラッグに手を染め、暴力を楽しむ。そんな青春の一時はさながらまともな『スプリング・ブレイカーズ』であり、はちゃめちゃさの落ち着いた『プロジェクトX』だ。盛り上がりには欠けるから見ていてボーっとしてくる。逆説的だが、でもそこが味わい深い。終わり近くにアメリカンフットボールのコートで朝を迎える男女。こんな青春の一時ばかり振り返るような人生になるなら死んでやる、という。青春映画へのメタ視点といえばそうだが、何よりもある一瞬の輝きを刻み込んできたリンクレイターの出発点がこれだと思うとグッと来る。下級生の少年はすべてを終え自宅に帰る。母は一度だけだよと見逃してくれ、ベッドに雪崩れ込むと直ぐ様ヘッドフォンを耳に付け、自分の世界に没入する。一日の興奮をなだめるように。

⑧『ブギーナイツ』(ポール・トーマス・アンダーソン★★☆☆☆☆
つまらなくて唖然とした。驚いた。こんなにもつまんないとは。『ザ・マスター』を去年観た時に遅ればせながら『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』も観て、おもしろかった。でもPTAの過去作の評判は聞いていたから、おそらくこれらよりもすごくすごく面白いのだろうと想像していた。そしてすぐ『マグノリア』を観たのだけど、ハイカラすぎてイヤになって途中で観るのをやめた。でもきっとほかの初期作は普通に気持ちよく見れるもんだと信じていて、期間は経たがやっと本作を観た。そしたらまったく乗れなかったのだ。ストーリーの整理をまずしておこう。高校を中退した主人公・エディは希望のない生活を送っていたがある時映画監督のジャックにバイト先の厨房でスカウトされポルノ男優デビューを飾る。彼の持ち味であるデカチンでもって一躍大人気に。だが時代を経て彼のチンコは勃たなくなってしまい、長年連れ添ってきた監督とも喧嘩別れに。露頭に迷い、知らない男にオナニーを見せ(車上荒らしに罵倒され暴行を受ける)、ついにはクスリの売買に手を染め、仲間は金庫強奪を図ろうとする。栄光が一転して辛い毎日の主人公はしかし、最後にはこれからの活躍を誓う。ほんとにストーリーはこれだけなのに二時間半も上映時間はあるのだ。途中に、栄華を誇るポルノ映画も80年代に入ればビデオに席巻されるから今のうちにビデオ産業に力を入れろよと仲間に請われる場面がある。てっきりビデオ産業にやられるさまを描き、その中でも奮起する主人公たちポルノ映画産業を描くのかと言われればそんなんでもない。すべてが中途半端。黒人のポルノ男優は銀行で融資を断られるも赤ん坊を授かり幸せだったり、かつての喧嘩別れした監督や元女優たちと再び元気にやっていこうみたいな楽観的な終わり方も、整合性がとれない。いやとれるんだが、何もカタルシスがない。いまのPTAは芸術性のある映像などストーリが散々でも楽しめるエレメントはあるのだが、これにはそれすら無いから、苦痛だった。目的のひとつであったフィリップ・シーモア・ホフマンの演技は脇役ながら光っていたが、それすらも忘れてしまった。とここまで書いたところで、カメラワークが優れているという指摘をみた。そうなのか〜。まだそういうところが全然わかってない。『その男、凶暴につき』にゾクゾクしたぐらいだな。

⑨『クレールの膝』 (エリック・ロメール★★★☆☆☆
男が若い少女・クレールの膝に執着する話。前半は程よく面白かった。二対二の合コンみたいなシーンからそれぞれの立場説明されて男が遊びでやっていても女の子は男に関心を寄せるという。ところがクレールが中心に置かれた後半からはよくわかんなくなってしまった。

⑩『レオン』(リュック・ベッソン★★★☆☆☆
ブラック・スワン』のナタリー・ポートマンつながりで観ました。ちょうどテレビでやっていたし。幼いポートマンちゃんが素晴らしく可愛いです。彼女の家族が麻薬捜査官に殺されていて復讐を誓います(若き日のゲイリー・オールドマン。最初気付かなかった)。隣の部屋には前からちょいちょい可愛がってくれていたジャン・レノが住んでいて殺し方を教えてくれと頼む。試しにライフルを撃たせてみるとなかなか腕が良い。ホテルマンへの嘘も手馴れていて、もしかしたら役立つかもしれない。そんな打算がレオンにはあったかもしれない。ただ、だんだんと彼女自身が可愛く思えてくる。ファッションショーをやりだしたりと壮絶になったしまった人生以外は普通の少女ですから。これは親子愛なのか?恋人への愛なのか。レオンは殺し屋のボスに自分に何かがあったら彼女にすべて渡してくれと言付ける。そうして結局は殺されてしまう。マチルダはこれからは独りで生きていかなくてはならない。こういう概要で二時間の中にストーリーは然程つめ込まれてはいない。ポートマンの可憐な佇まいのほかにはこれといって特筆すべきことはないように思えた。