石田徹也展「ノート、夢のしるし」

石田徹也展「ノート、夢のしるし」に行ってきた。

開催した足利市美術館は近いわけではなく、行くまでに鈍行で3時間かかった。駅に着いたのが16時で、閉館まで残り2時間しかない。ツイッターの評判に押され急遽最終日に観に行った。美術館内は人でごったがえしになっていると想像していたがそんなことはなく、スムーズに観ることができた。一階に1室と二階に2室の計3室展示室があって、常設展は無し。食い入るように見ている鑑賞者が印象的だった。こんな鑑賞者とは他の美術館では出会えない。それだけ彼の作品が身につまされたということなんだろう。現に、私自身に突きつけてくるものが確かにあった。1996年と97年にかけては最も脂が乗っており、緻密でしかも多作だ。代表作はこの二年に殆ど製作されているといっても過言ではない。後年になると複雑な構図も試していくのだが、彼の独特の絵の雰囲気が発揮されいるものは初期作品に集中していた。星野智幸の代表作『俺俺』の表紙となった、牛丼を流し込まれる男たちが描かれた《燃料補給のような食事》 。飛行機になって空を飛ぶ男を描く《飛べなくなった人》 。どちらも96年の作だ。どちらもすばらしく、足を止めて見入った。

最も感動したのは、彼が多作だったところだ。仕送りを止めてもらいバイトをしながら製作に没頭していたのだ。展示室ではアイデアノートを閲覧できる。90年台半ばの一年には本や映画の感想が書かれていたが、後年はなくなった。感想を言うのではなく自分が作り問う側にまわったということだろう。彼は31歳で亡くなった。踏切事故と言われているが自死かもしれないとも言われている。最後の作品と言われている絵は未完だった。作者の自画像と思われる。足利市美術館の道路の向かいには書店があって、電車に乗る前に美術手帖を立ち読みした。最新号の横尾忠則特集の表紙を捲ると、石田徹也が。ガゴシアン香港で展示があるという。生前にも大槻ケンヂ本の表紙やVOCA展入賞作品など活躍は一部であったが、死後いよいよ認められる作家になったということだろう。