Bully

Bully(追いつめられて 〜アメリカ いじめの実態〜)

全米各地でいじめの被害に遭っている子どもたちの姿を学校や家庭で記録し、大きな反響を呼んだドキュメンタリー映画の前編。
アイオワ州に住む12歳の少年アレックスはコミュニケーションをとるのが苦手で学校で孤立しがち。取材班は、エスカレートしていくアレックスへのいじめの現場を生々しく描き出していく。
オクラホマ州に住む16歳のケルビー。レズビアンだと告白して学校でも町でも嫌悪の対象になってしまうが、自分が小さな町を変えることができると信じて気丈にふるまう。
ジョージア州。いじめを苦に自殺したタイラーの家族は、いじめを知りながら救えなかったことへの無念と同時に、学校や行政への不信感をつのらせている。両親は住民集会を開き、学校側や行政、警察とのいじめ対策についての対話を求める。
ミシシッピ州の黒人少女ジャミーヤは、母を経済的に助けるため将来は海軍に志願すると語る勤勉な娘。しかしある日、母親の護身用の銃を持ち出していじめ加害者たちを脅し、逮捕されてしまう。
(制作:WHERE WE LIVE FILMS、米、2011年、全2回)


前編
アレックス。魚顔のアレックスの家庭の場面から映画は始まる。妹は成績優秀で反抗的。日本のいじめドキュメンタリーだと、悲惨な部分しか描かない。だが、冒頭はとてもアレックス自身が楽しそうだ。ケルビーに対する教師の発言。過去に同性愛者を火炙りにした逸話を言った。それがおそらく大きな問題になってはいない。敬虔なキリスト教徒の一家で同性愛に嫌悪を持ちながら育ったケルビー。だが、自分もそうだった。キリスト教徒が一般的なアメリカ社会では、教師以前に人としてのスタンスが大きいのだろう。タイラーは首を吊ってクローゼットの中で死んでいた。「おかま」呼ばわりが悪口として通用するのだな。日本では、「おかま」という悪口は一般的ではないから。親は学校の責任を追求する。学校はタイラーが狙われていたのに、何もしなかったと。また、アレックス。「今日はいじめはなかった」と母に報告する。「早産だった」という、母親のジャッキー・リビー。24時間以内に死んでしまうといわれたアレックスは今ではもう13歳だ。映しだされる学校の風景は、『クロニクル』であり『キャリー』であり『glee』だ。日本では「しつけ」の名のもとに厳しい制限が加えられ、上下関係で処理されていく。けれど、アメリカでは人と人として、問題は片付いていく。ここではそれが最も重視されているようだ。アレックスがバスに載っているシーンで、一人の生徒にモザイクがかかった。それ以外の生徒はボカシでなくてもかまわないと生徒たちが判断したということだろう。すごいことだ。赤裸々なのだ。「いじめる側にまわりたい」と言うアレックス。ジャミーヤ・ジャクソン。14歳。今は少年鑑別所にいる。バスの中で悪口を言われた。物を投げてきた。ジャミーヤは母の銃を所持しており、手に持った。バスの防犯カメラに映っていたのだ。発砲はなかった。保安官は「いじめだろうと酌量の余地なし」という。なんだかバカ面だ。「彼女の罪は何百年にもなる」ともいう。そりゃあいいけど、彼女の気持ちも慮ってやれよ、とこちらは言いたくなる。いじめられてた子を見逃していた自分の責任は思い至らないのかと。タイラーの自殺から5週間後に両親は対話集会を開いた。教育長は女性。「どこにでもいじめはある」という。母は看護師。父と共に、おそらく学校の体育館で集会を開いた。聴衆は牧師は「神の名において」と前置きした上で、質問する。質問には拍手が起こる。それぞれの人間に高い自尊心がある。それは普通のことだろうとおもう。タイラーの同級生も発言する。大人と同じ場で、対等に。いじめられている他の子も発言する。3年間誰も何もしてくれなかった、今回の件は悲しいと。