加茂克也展 100HEADPIECES


入口の思考の素材を見せられれば似たような原初の煌き的コラージュ群像の一連になると思いきや大きな空間に移動するとスクリーンには過去に参加したランウェイの映像、右に向かうと圧巻のヘッドピース。頭の中と実作がバランスよく配置されているのは、絶命展など頭ん中偏重の時代にあって経験で持って伝わってくる貴重さだ。会場を埋め尽くすのは美容師と原宿キッズたちでヘッドピースの横をこちらも特殊な異物感を伴った実物のヘッドが移動している。上野に押し寄せる爺婆で世界美術展動員ランキング上位に位置づけられても嬉しくともなんともないと叫びが聞こえてきていたわけだが、パルコミュージアムラフォーレミュージアムなど場所にこだわり届ければ伝わることもあるのだろう。狙いの無さなど加味して言うとしても、さながら現代のセゾン美術館だ。リアルに還元したいと作品を見つめる視線は新鮮でそんな還元主義の風潮にチクリと言いたくもなるが、歯車が回るように作品を瞬時に甲乙判断するプロ視線とどちらが良いと言うものでもないだろう。このような還元的鑑賞態度が広がることから新たな需要は生まれていくのだと思う。生活実感と結びつくことを許すプロの仕事というのはいいものだ。再現されたアトリエとポラロイドブックに熱視線が注がれるのも当然だろう。

展示内容自体も面白い。プロの仕事をそのまま意識を漏らさず移設した感じの伝わる緊張感ある会場で、異質の体験をさせてもらえた。スクリーンの隙間からやっと全体を見通せるツモリチサトジュンヤワタナベなどブランドのアウトフィットをまとった全身マネキン。会場構成にもこだわりは見て取れた。大々的に建築家を空間構成に招かなくたって、個別に創意工夫すればいくらでも面白くできるのだ。