3月 日記

3月26日
河野至恩さんの初単著。重要なポイントを言うと「どんな人間が受容してもいいし、それをどんな枠組みで語ってもいい」ということだ。著者が繰り返して強調するのは、例えば村上春樹の英語訳は日本語の原本と同じくらい価値があるということができるしいつかは英語訳こそが原典と言われる可能性である。日本のアカデミアではその言語が堪能にできないと教じてはならないよいうような風潮があるがそうではないと。・・が柄谷行人の英語訳の序文を読んで・・を書いたが、日本語を十分に出来たとはいえない。十分に出来ずとも資料をそれなりに集めれば、その人の立場での論じ方ができる。海外の大学院生などは複数語を自在に操り、その言語環境の中でおもしろく考えてみることができてくる。
世界の読者に伝えるということ (講談社現代新書)

3月27日
 『レゴムービー』『LIFE!』『アナと雪の女王』(吹替)を連続で観た。松たか子と神田沙也加の歌声のよさもわかったのだが(一回目は字幕で観た)なにより映像の美しさに再び息をのんだ。一回目には細かい描写で魅力的に思うものが強調され記憶に残ったが全体を俯瞰して観れた今回は、作品自体に漂う雰囲気をより享受することができた(肌のきめ細やかさがすごい)。
 書店では柳下毅一郎さんの「皆殺し通信」の巻末の松江哲明さんとの対談がおもしろかった。矢野顕子主題歌問題。見たくなった作品が数本出てきた。松本人志の一本目を褒めてた人をえらいという発言なんかはフェアな精神を表していた。ほかにはバルガス=リョサマルケスの対談本を立ち読みした。美術手帖村上隆、中原浩大、ヤノベケンジの鼎談を読んだ。実質的に村上とコーディネートをした楠見清のバトルだった。文字量もこの二人で9割だ。楠見の音楽の例えを村上が攻撃した箇所は首肯した。たしかに他分野を類似例として持ちだしても当人は気持ちいかもしれないが有益に歴史化されはしないから。
 帰宅後、フィギュアスケートの録画を観る。浅田真央さんがすごい。ショート・プログラムの世界最高得点らしい。コストナー選手、リプニツカヤ選手、アシュリー・ワグナー選手の部分はすべて観た。フリーも楽しみだ。「笑っていいとも!」の小泉今日子のテレフォンショッキング。どうでもいい話だった。この一週間の人選から考えられることはおおい。明日は黒柳徹子だという。「とんねるずのみなさんのおかげでした」のタモリとレギュラー陣の食わず嫌い王まで見てしまう。風呂でコンラッドの『ロードジム』を読み出す。


3月28日
 もったいないからちびちび見ていた第86回アカデミー賞の授賞式を観終わった。一時間がレッドカーペット、残りの一時間半が授賞式に当てられていた。ジャレド・レトのスピーチには感動したし、「Let it go」の歌唱っぷり(絶叫に近かった)は歌詞に忠実で感動した。ジェニファー・ローレンスのスピーチとヤンキーみたいな発言にはハラハラしたし(だからこそ可愛い)、マシュー・マコノヒーが受賞が発表されてすぐにデカプリオとハグしていたのもよかった。ケイト・ブランシェットは高飛車な女というかちょっとイッちゃってる感じが良かった(スピーチかなり長い)。プレゼンターとしてはデ・ニーロまで出てくる。なんといっても司会を担当した・・の洒脱さもよかった。ピザを頼んだり(しかも・・に金を払わせようとする)、ジョナ・ヒルのチンコは久しぶりだったとか。
 岩波書店のサイトで限定公開されている音源を聞き終えた。
 台湾がどうなっているのかイマイチわからない。内田樹のブログに転載されている教育学の佐藤学氏のレポートを読んでみたりしているのだけど。
 じぇれみーあぼっと
 アンリアレイジの2014a/w。雨の雫が舞う中、光る蛍光色のブロックの上に織りなす三人のモデル。顔にはなんかくっついている。床は蛍光だが服が光っているわけはなさそうだ。服よりもむしろ顔に目線がゆく。赤い系統の服が多い。スカートはチェック。赤地に黄色の刺繍が施されたワンピースが可愛い。ナイロン地のコート。首をオレンジ色のネックウォーマーが覆う。スタッズが付いたコート。
途中上からライトが降りてくる挟まれたライトによって赤のつぎはぎの服が照らされる。素材がよく見える。素材が開き出す。ぷっくらと穴が膨らむのだ。地肌が見えてくる。赤の布と肌色の地肌のコントラスト。横から見れば見えるが挟んだライトが邪魔で縦に座った客には見えてこない。開ききるとライトは上にあがっていく。すべての方向から佇む少女を眼差せる。顔にくっついたものも赤色、ソックスも赤、全身赤だ。床は白と水色の光のタイル。後方青と緑の服のモデルがくるが赤色動じず、真ん中に陣取る。青色軍団去ると赤も合わせて去っていく。音楽はピアノのズンズンした音。森永は白でひょっこり登場。